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カノーブルとマルガレッタ

16世紀フランス。

バターは主に農家で生産されていて、農夫たちは自分の牛や地域の牛から搾った牛乳を使い、手作りでバターを作っていました。牛乳さえあれば作れるバターは、年に一回しか絞れないオリーブオイルよりも手軽な日用食として貴族よりも先に庶民の間に広がっていたのです。

そして、それまで香辛料やハーブをたっぷりと使った料理を食べていた貴族たちの食卓にも、この頃からバターを使った料理が並び始めます。現代に続くフランス料理のかたちです。

そんな中、当時のフランスで最も有名なバター職人として、ジャン・デュ・ラ・フーという人物がいました。

ジャンは、16世紀末ごろにフランス北部の農村で生まれ、幼少期から家族を手伝う中でバターの製造技術を習得し、そして、20歳になった頃には、すでに地域で有名なバター職人として知られ、他の農家からバター製造の注文が殺到しました。

ジャンは、牛乳を使ってバターを作る際に、特別な技術を駆使し、高品質なバターを生産することができました。そのため、彼のバターは、当時のフランスで最も人気があり、王室や貴族たちからも支持され、バターの地位向上に貢献しました。

そして、ジャンの何よりも大きな功績は、バターにスパイスやハーブを練り込んだフレーバーバター「ブールアロマティゼ」を考案したことです。これにより、食べるバターという、新たな食が誕生。

そして時は流れ、このジャンが考案した「ブールアロマティゼ」が世界中で愛されるきっかけを作ったのが、カノーブル夫妻です。

19世紀のパリ。

CANOBLEという名のバター専門店が誕生しました。当時、バターは主に農家からの自給でしたが、CANOBLEの創業者であるクリストフ・カノーブルは、自らの手でバターを作り、品質の高いバターを販売するという斬新なビジネスを始めました。

クリストフはそれまでスパイスやハーブが中心だったフレーバーバターのフィリングに、新鮮なベリーや洋酒漬けのフルーツやチョコレートなどを使用することで爆発的な人気を博します。

新時代の「ブールアロマティゼ」の成功に手ごたえを感じたクリストフは、パリの店を弟のセバスチャンに任せ、妻や子供たちを伴ってNYへと進出し、高品質なバターを製造することに情熱を注ぎ続け、CANOBLEを世界的なブランドに育て上げました。

しかし、時代の波がカノーブル夫妻に押し寄せます。

20世紀に入るとヘルシー志向からバターが敬遠され始め、CANOBLEもまた大きな影響を受けてしまいます。

時代の波によって経営危機に陥ったCANOBLEを救ったのが、カノーブル夫妻の孫で当時まだ12歳だったマルガレッタと、クリストフが飼っていた猫のミニョンです。

マルガレッタのアイデアによって生まれた使い切りの小さなサイズのバターは、コックコートを着たミニョンのパッケージの可愛さもあって大ヒット。やがて大人になったマルガレッタは大好きな祖父母が育てたブランドを守るためCANOBLEの経営に参加するようになります。

しかし、喜ぶ暇もなく、さらなる危機がCANOBLEに迫ります。

バター不足です。

戦争や気候変動、飼料の高騰などの影響でバターが市場に出回らなくなってしまったのです。バター不足は何年か周期で繰り返し、CANOBLEの経営を圧迫していきます。

この問題に対する政府の無能さにしびれを切らしたマルガレッタは、大きな決断を下します。

バター専門ブランドを守るために「バターじゃないもの」を開発する。マルガレッタは叫びました。

「Butter is dead!」
(バターは死んだ!)

バターに代わるトーストのお供を。

マルガレッタはCANOBLEのオリジナルでもある焦がしバターとファットスプレッドをミックスし、自家製のジャムを乗せたを「オリジナルスプレッド」を発表。これが好評を博し、その後もフワフワ食感のチーズとクリームにソースをかけた「スムースベルベット」、トロっとトロける食感のムースやゼリーの「テリーヌ」を発表しました。

そして、バターではない商品なのにCANOBLEの名を名乗ることはできないと、自らの名を付けたMARGARETAとして新たなブランドとして展開することになりました。

その後、マルガレッタの功績を称えて、幼少期のマルガレッタの肖像画と、横顔を図案化したイラストをパッケージに採用し、長く愛されるブランドとして親しまれています。

という妄想のストーリーを元に新ブランドを作りました。

どうぞよろしくお願いします。

マルガレッタの名は真珠を意味するギリシャ語の「マルガリテス」(Margarites)、花のマーガレットから名づけられています。